乳がんになって失ったもの、得たもの

乳がんになって失ったもの

それはもちろん、左のおっぱい…

41歳の時に告知されたので、41年間いい時もつらい時も共に生きてきたおっぱいを失いました。

 

それから、妊娠するチャンス・・・

そもそも、私は39歳で結婚しました。

そのため、その時点ですぐに妊娠できたとしても、高齢出産。

 

乳がんと告知を受けるまで、妊活に励み、お父さんになる主人を見るのを夢見ていました。

 

でもなかなか妊娠できず、婦人科を受診。

すると、子宮内膜症・チョコレート嚢胞であることが分かり、不妊治療専門の病院へ行こうとしていた矢先のがん告知でした。

 

乳がんと告知を受けた時に、クリニックの先生から「術後はホルモン療法が最低5年は必要です。そのため、妊娠は難しいと思ってください」と告げられました。

 

もしも私がもっと若ければ、卵子凍結などのお話も出来たのかもしれませんが、ホルモン療法が終わる5年後と言えば46歳。

 

それから妊娠…現実的ではない。

先生の言う通り。そう思いました。

 

おっぱいと同時に赤ちゃんを産むという女性としての夢、いや任務みたいなものを失った感じでした。

 

自分の人生から「子供」という単語が消えたことで、術後から現在になっても、心は複雑に葛藤しています。

 

純粋に友人の妊娠を喜んであげられなかったり、育児休暇を取っている同僚のことを良く思えなかったり、そんな風に考えてしまう自分のことが凄く嫌になったり…

 

子供を産めないことで、義母はどう思っているのかとか…

両親に孫の顔を見せてあげられなかったとか・・・

 

考えてもどうしようもないことが頭を複雑によぎりまくります。

 

でも仕方ない。

 

その分、自分自身が楽しく人生を過ごし、その姿を両親や義母に見せてあげられたら少しはいいのかなと思うようにしています。なかなか上手くいかないけど…

乳がんになって得たもの

それは、病気と戦っている人がこんなにもたくさんいるということ、そしてその人たちを支え、救おうとしてくれる医療従事者がたくさんいるということを知れたことです。

 

それから、やっぱり家族の優しさ。

 

結婚して1年程で嫁が乳がんなんて、普通で考えたら青天の霹靂といっても良いほど。

離婚を考える夫婦もいると聞いたことが…

 

夫は、私よりも先に乳がんという病を受け入れ、治療することを優先に考えていました。

 

もし逆の立場だったら、どうなっていただろう…

 

そして、母の偉大さを改めて知れたこと。

同じ女性としていろんなことを理解し、心配してくれます。

でも絶妙な距離感で接してくれることが、とてもありがたい。

 

おまけに母はびっくりするほどポジティブ人間( ゚Д゚)

 

そんな元気な母の存在はかけがえのないものだと再確認できました。

コメント

  1. 藤井ともみ より:

    こんにちは☺
    コメント失礼致します。
    今、41歳なんですよね?
    私は41歳で出産しました。

    もし、ホントに子供が欲しいなら卵子を凍結保存してみたらいかがですか?

    5年て凄くいろいろ変わってるし、46歳で出産とかも増えてるのではないでしょうか。

    経済面やご家族の同意が必要ですが、私は乳がんだら諦める・・・というのは残念で仕方ありません。

    他人だから言えるのかもしれませんが、人ってできる出来ないの前にするかしないか!!だなって最近思うのです☺

    もし気分悪くされたらごめんなさい。

    私も抗がん剤を半強制的に辞めて、妊活後
    妊娠、出産できたので。

    • ringozo24 より:

      こんにちは!(^^)!
      コメントありがとうございます。ここ2週間体調が悪く、ブログを見ることが出来ず返信が遅くなってしました。
      本当に申し訳ございません(>_<) このブログは今から約5年前のことです。なので、今は46歳! 当時は、乳がんになってしまったことで頭がいっぱいで、卵子凍結のことなど思いつきもしませんでした。 主治医も妊娠は難しいね。と決めつけられていたようにも思います。 今となってはどうにもできないので、主人と2人の人生です。 藤井さんは、抗がん剤の途中で妊娠されたんですね!!そして出産も!!! おめでとうございます!! メッセージありがとうございました。 また、よかったらブログ除いてみてください♡